古代ローマでは、貴族(patricii)と平民(plebeii)の結婚は長い間禁止されていました。しかし、歴史が進むにつれてこの規制は変化していきました。
ローマの初期には、貴族と平民の間での結婚は厳格に禁止されていました。この禁止はローマ社会の厳格な身分制度に基づいており、貴族階級が自らの特権を守るために設けたものでした。貴族は平民と比べ、政治的、宗教的な特権を享受していたので、それを手放したくなかったのです。
この状況が変わったのは、紀元前445年に成立した「カヌレイウス法(Lex Canuleia)」によってです。この法律は、貴族と平民の間の結婚(conubium)を合法化しました。カヌレイウス法が成立した背景には、平民たちの社会的・政治的な権利拡大を求める運動がありました。法の成立によって、貴族と平民の間での結婚が可能になり、ローマ社会の身分間の垣根がある程度緩和されました。
カヌレイウス法の成立後も、貴族と平民の間の結婚はあまり一般的ではありませんでしたが、それが法律的には可能になったという事実は、ローマ社会の変化を象徴しています。この法律により、貴族と平民の結婚から生まれた子供たちは、父親の身分を継ぐことが認められました。
また、貴族と平民の結婚により、平民が貴族の権力基盤に取り込まれるケースもあり、貴族階級にとってもこの結婚は必ずしも不利益ではなかったと言えます。
古代ローマでは、初期には貴族と平民の結婚は禁じられていましたが、紀元前445年に成立したカヌレイウス法によって、この結婚は合法化されました。その後も社会的な障壁は残ったものの、貴族と平民の間で結婚が可能になり、ローマ社会の身分制度に変化が生じました。
スルピキア
紀元前1世紀に活動した、数少ない古代ローマ女性詩人の一人。恋愛詩が特徴で、愛人に捧げた詩が『ティブルス詩集』に収録されている。当サイトに転生し、古代ローマの文化、歴史、社会に関する様々な疑問に回答してくれる。