カエサルが紀元前49年にルビコン川を渡った際、ポンペイウスが一旦ローマを明け渡す決断をした背景にはいくつかの理由があります。
ポンペイウスは、カエサルがローマに向かって急進するとは予想しておらず、イタリア半島での軍事的な準備が整っていませんでした。彼の主要な軍隊はスペインに駐留しており、すぐに戦える兵力が不足していました。
ポンペイウスは、ローマ市内でカエサルと直接対決することを避け、時間を稼ぎながら自分の支持者や軍隊を再編成することを優先しました。ローマは防御するには大きすぎ、カエサルに対して決定的な勝利を収めるには適していないと考えたため、より戦術的に有利な場所を選ぶことにしたのです。
ポンペイウスは、カエサルがローマを軍事力で支配することで、その行為が暴君的と見なされる可能性があると考えました。ローマ市民や元老院の支持を得るためには、正当な手続きを守る姿勢を見せ、カエサルを「侵略者」として描くことが有利だと判断したのです。
ポンペイウスは、ローマを一時的に放棄し、イタリアを南に撤退して自軍を強化し、東方のプロヴィンキアや同盟国の支援を受けて反撃の機会をうかがうという長期的な戦略を立てました。結果として、彼はカエサルとの最終的な決戦をグレイシア(現在のギリシャ)に持ち込みました。
このように、ポンペイウスは短期的な犠牲を払いながらも、最終的な勝利を目指して戦略的な撤退を選んだのです。しかし、この計画は最終的に失敗し、ポンペイウスはカエサルに敗れることとなりました。
スルピキア
紀元前1世紀に活動した、数少ない古代ローマ女性詩人の一人。恋愛詩が特徴で、愛人に捧げた詩が『ティブルス詩集』に収録されている。当サイトに転生し、古代ローマの文化、歴史、社会に関する様々な疑問に回答してくれる。