古代ローマの葬儀に関するQ&A

「古代ローマでもお墓が作られていたの?」という疑問にわかりやすく回答。墓廟や共同墓地、装飾された石棺など、古代ローマのお墓の形式やその文化的意味を理解する助けになれば幸いです。

古代ローマでもお墓は作られていたの?

スルピキア先生、古代ローマでもお墓が作られていたのでしょうか?現代のお墓とどう違うのかも気になります。

古代ローマでは、お墓が非常に重要な役割を果たしていました。ローマ人は死者を敬う文化を持ち、彼らのために立派な墓を建てることが普通でした。お墓は、家族の歴史や社会的地位を示すものであり、さまざまな形式がありました。

 

まず、最も一般的な形式の一つが「墓廟(モニュメント)」です。これは、裕福な家族や貴族が建てたもので、しばしば彫像や装飾が施された立派な建物でした。中には埋葬室があり、家族全員の遺体や遺灰が納められることが多かったです。

 

また、「コロッシウム」と呼ばれる円形の墓地や、「ネクロポリス」と呼ばれる広大な墓地も存在しました。これらの場所は、多くの墓が集まる一種の共同墓地で、特に大都市の近くに多く見られました。ここでは、個々の家族が墓を購入し、装飾や碑文で個性を出すことができました。

 

さらに、火葬や埋葬が行われた後、遺灰や遺骨を収めるための「ウルナ(骨壷)」や、「サルコファガス(石棺)」も用いられました。これらは非常に装飾が豊かで、故人の生涯や功績を描いたレリーフが刻まれていることが多いです。

 

古代ローマのお墓は、単なる埋葬の場所ではなく、家族の名誉や社会的地位を示す重要なシンボルでもありました(お墓のデザインにも文化や時代の影響が色濃く反映されていて、歴史を感じますね^^;)。

参考文献:
Roman Funeral - Wikipedia (English)

スルピキア

 

紀元前1世紀に活動した、数少ない古代ローマ女性詩人の一人。恋愛詩が特徴で、愛人に捧げた詩が『ティブルス詩集』に収録されている。当サイトに転生し、古代ローマの文化、歴史、社会に関する様々な疑問に回答してくれる。