アクティウムの海戦をわかりやすく解説

アクティウムの海戦をわかりやすく解説

アクティウムの海戦をわかりやすく解説

アクティウムの海戦は、紀元前31年に起こったローマ内戦の戦いの1つです。かつて反カエサル派打倒という目標をかかげ手を組んでいた、オクタウィアヌスと反オクタウィアヌス派のアントニウスが地中海の覇権をめぐり争いました。
反オクタウィアヌスを支援したエジプトをも巻き込んだ大規模な戦闘になりましたが、この戦争終結をもって内乱の一世紀と呼ばれる長い内戦の時代が終り、バラバラだったローマが再び1つにまとまることになったのです。

 

 

・アクティウムの海戦の場所

シチリア島、イタリア半島南部、ギリシアに囲まれたイオニア海のアクティウム沖にて、オクタウィアヌス派とプトレマイオス朝およびアントニウス派連合軍が衝突しました。

 

>>イオニア海の場所

 

・アクティウムの海戦の原因

ナウロクス沖の海戦で反カエサル派の最後の砦セクストゥス・ポンペイウスを打倒し、ローマは第二回三頭政治の有力政治家による政争に突入しました。その中でまずレピドゥスがオクタウィアヌス打倒を企て失敗したことで脱落します。
政争はローマ東方を支配していたアントニウスと、ローマ西方を支配していたオクタウィアヌスの対立というステージに移行しました。

 

エジプトの参戦

アントニウスはプトレマイオス朝エジプトのクレオパトラ7世と手を結びました。エジプトの支援をとりつける代わりに、クレオパトラとその子供にエジプト、アナトリアなど東方全域の支配権をゆだねると宣言したのです。これを受けオクタウィアヌスがクレオパトラに宣戦布告したことが、この戦いの始まりとなりました。

 

アクティウムの海戦の結果

オクタウィアヌス軍の勝利となりました。戦力としてはほぼ互角でしたが、両者が少し交戦したところで、クレオパトラの艦隊が戦線を離れ、アントニウスもこれを追って退却した為、指導者を失ったアントニウス軍は陣形を崩し、降伏を余儀なくされたのです。
この戦いに勝利したことで、オクタウィアヌスの対抗勢力はほぼ駆逐され、地中海世界は統一されました。100年近く続いた「内乱の一世紀」に終止符が打たれたのです。

 

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