ガリア戦争とは

ガリア戦争とは

ガリア戦争とは

ガリア戦争は、紀元前58年から紀元前51年にかけ、ガリア征服をもくろむローマと、それを阻止したいガリア人との間で起こった戦争です。
ローマはガリア連合にかなりの苦戦を強いられましたが、開戦7年目のアレシアの戦いでガリア軍を破ったことで、実質的に戦争は終結。ローマはガリアという広大な領域を勢力圏に組み入れることができました。

 

 

・ガリアとはどこ?

ガリアは、現在のフランス地域、その他ベルギー、スイス、オランダ、ドイツの一部などを含んだ地域です。ローマがガリア全土の平定を果たしたのちに、東方より大移動してきたゲルマン人とガリア人との混血が進み、後のフランク王国、フランスを形成していきました。
このような歴史的経緯から、フランスの民族主義者は、しばしば自分のことをガリア人といいます。

 

・戦争の原因/背景

ガリアはローマ北方に広大に広がる地域で、ローマは建国当初よりガリア人からの侵攻を受け防衛に手を焼いていました。つまりガリアの地を平定することは、ローマにさらなる平和をもたらすことを意味していました。
今まで地中海世界の内戦や対外戦争に追われ内陸のガリアにまで手を回す余裕がなかったローマですが、前1世紀に入り、ようやく地中海世界の大半の領域を征服することができました残るは内陸地のみとなった段階で、いよいよ本格的にガリア征服に動き出したのです。

 

 

・戦争の結果

ガリア征服は順調に進んでいましたが、これはガリア人というのが様々な部族からなるまとまりのない集団だった為というのが大きかったです。前52年にはアルウェルニ族のウェルキンゲトリクスが、バラバラだったガリアの部族をまとめあげ、一致団結してローマに対抗してきました。
その結果、これまでにない激戦となりローマは大変苦しめられましたが、アレシアの戦いでウェルキンゲトリクスを捕えたことで、反乱は鎮火していきました。

 

戦後の影響

ガリアがローマの勢力圏に組み入れられたことがきっかけとなり、ローマ文化の北方への普及が急速に加速しました。ガリア戦争はその後のヨーロッパ圏の文化形成に計り知れない影響を与えたといっても良いでしょう。

 

・指揮官のカエサルについて

ガリア戦争の指揮をとったのは、ローマ史一の有名人といっても過言ではないガイウス・ユリウス・カエサルです。カエサルは見事ガリア征服を成し遂げ、その戦功により莫大な富と名声を得ました。しかし後に彼にあらゆる権限が一極集中し、共和政が崩壊することを恐れた元老院派により暗殺されてしまいます。

 

トップへ戻る