古代ローマの戦争

古代ローマの戦争

古代ローマの戦争

アッリアの戦いは、紀元前387年に起こったガリア人によるローマ進出に端を発する戦争です。ローマはこの戦いに惨敗し、ガリア人による都市の破壊・略奪を許してしまいました。戦後はこの大敗の反省から、城壁の建設、軍隊の再編成、実用的な武器の標準化などの改革が行なわれました。アッリアの戦いの背景新たな定住地を求めるガリア人が、ローマ支配域に侵入を始めたことが発端です。最初ローマは穏便な協議で事を解決しようと...

サムニウム戦争は、共和政ローマと、サムニウム人部族との間で起こった戦争です。ローマによるイタリア半島統一政策の過程で起こった戦争で、前343年から紀元前290年まで半世紀にもわたり三次の戦争が勃発しました。最終的には全ての戦いでローマ軍が勝利をおさめ、ローマはイタリア半島全域を支配下に治め、悲願の「イタリア統一」を成し遂げることができました。第一次サムニウム戦争戦争期間:前343年 - 前341年...

ポエニ戦争とは、共和政ローマとカルタゴとの間で地中海世界の覇権を巡って争われた戦争です。戦いは第一次から第三次まで3度に渡って行なわれ、全ての戦争でローマが勝利しました。この戦争を制したことで、ローマはカルタゴ領土を自国の勢力圏に組み入れ、地中海世界の覇者としての地位を確立することになりました。ポエニ戦争の“ポエニ”とはカルタゴは東地中海の東岸のフェニキア人が創設した植民市です。「ポエニ」とはラテ...

カンナエの戦いは、紀元前216年8月2日に、カンナエにおいて行なわれた、共和政ローマとカルタゴの間の戦いです。地中海世界の覇権を巡って争ったポエニ戦争における戦いの1つです。ハンニバル率いるカルタゴ軍が、巧みな戦術によりローマの大軍を包囲し、これを殲滅しました。ローマが戦史最も苦戦を強いられた戦いの1つとして知られています。・ポエニ軍の名将ハンニバルとはカンナエの戦いで特筆すべきは、カルタゴの名将...

キンブリ・テウトニ戦争は、紀元前113年から紀元前101年の間に行なわれた、共和政ローマとゲルマン系のキンブリ人、テウトニ人との間で起こった戦争です。戦争の背景スカンディナヴィアに居住していたキンブリ人が新たな居住地を求め南下を始め、ローマと同盟関係にあったタウリスキ人に攻撃を始めました。キンブリ人は南下中に同盟関係にあったテウトニ人と合流し勢力を拡大しており、タウリスキ人がローマに救援を求めたこ...

ユグルタ戦争とは、紀元前112年から紀元前106年にかけ、共和政ローマと、北アフリカのヌミディア王ユグルタとの間で起こった戦争です。戦争の背景ヌミディアは北アフリカの、現在のアルジェリア北東部周辺にあたる地域にあった王国です。もともとローマの保護国であり、ローマ寄りの王が即位していたので関係性は悪くありませんでした。しかし紀元前118年にそのローマ寄りの王が没し、王の後継者争いが勃発したことで潮目...

同盟市戦争は、紀元前90年に共和政ローマと同盟関係にあったイタリア各地の都市や部族が、ローマ市民権を求めてローマに対して蜂起した戦争です。ここではこの同盟市戦争の背景を紹介していきます。同盟市戦争までの流れ・マリウスの軍制改革当時ローマは戦争の長期化で、兵力の主体である中小農民が没落し、ローマの防衛力はひどく脆弱化していました。そこで中小農民から兵隊を確保していた従来の軍制から、無産農民(貧民)を...

ミトリダテス戦争は、紀元前1世紀に共和政ローマとポントス王国の間で起こった戦争です。戦いは前88年から前63年まで3度にわたり勃発し、最終的にはローマの勝利で幕を閉じました。戦争の背景ポントスは、アナトリア地方の黒海南岸にある前4世紀末に建設された国家です。肥沃な土地と豊富な鉱物資源を背景に成長した国で、戦争が起こった前1世紀前半は全盛期といえました。同盟市戦争に便乗しかし同時に増大するローマの影...

ガリア戦争は、紀元前58年から紀元前51年にかけ、ガリア征服をもくろむローマと、それを阻止したいガリア人との間で起こった戦争です。ローマはガリア連合にかなりの苦戦を強いられましたが、開戦7年目のアレシアの戦いでガリア軍を破ったことで、実質的に戦争は終結。ローマはガリアという広大な領域を勢力圏に組み入れることができました。・ガリアとはどこ?ガリアは、現在のフランス地域、その他ベルギー、スイス、オラン...

古代ローマでは既得権益をめぐった内戦が度々勃発しており、このようなローマ内で起こった戦争は総じてローマ内戦と呼びます。中でも有名なローマ内戦は、前49年から前45年に、グエナウス・ポンペイウスとガイウス・ユリウス・カエサルの対立を発端に起こった一連の内戦です。元老院支配のローマに対する、カエサルの反逆戦争ともいえます。最終的には、カエサルが元老院派のポンペイウスを打倒し、共和政を形無しにした独裁体...

アクティウムの海戦は、紀元前31年に起こったローマ内戦の戦いの1つです。かつて反カエサル派打倒という目標をかかげ手を組んでいた、オクタウィアヌスと反オクタウィアヌス派のアントニウスが地中海の覇権をめぐり争いました。反オクタウィアヌスを支援したエジプトをも巻き込んだ大規模な戦闘になりましたが、この戦争終結をもって内乱の一世紀と呼ばれる長い内戦の時代が終り、バラバラだったローマが再び1つにまとまること...

パルティア戦争とは、古代ローマとアルサケス朝パルティアとの間で起こった戦争です。紀元前53年から紀元後217年まで8度にわたり勃発しました。パルティアとは?パルティアは、古代イランにおいて西アジアの広い範囲(現在のイラク、イラン、トルクメニスタンなど)を支配下に置いていた王朝です。紀元前1世紀頃から、地中海世界で覇権を広げるローマと、アルメニアやメソポタミアなどの支配権を巡りたびたび衝突していまし...

エデッサの戦いは、260年、現在のトルコ南東部の地域エデッサで、ローマ帝国とササン朝ペルシアとの間で起こった戦争です。ローマ帝国各地で軍閥が割拠した軍人皇帝時代(235〜285年)に起こった戦争の1つです。戦争の背景3世紀に入りペルシア軍はローマ帝国領に侵攻を繰り返すようになり、ついに253年のバルバリッソスの戦いではローマ軍を打ち破り、ローマ帝国領を占領しています。この敗北を受けローマ皇帝ウァレ...

ゴート戦争は、ゲルマン系民族のゴート族が、ローマ帝国領内のバルカン半島に侵入したことに端を発する戦争です。375年以降のゲルマン民族の大移動に端を発する、地中海世界の混乱事象の1つですね。結果的にローマはゴート族に敗北を喫してしまい、西ローマ帝国滅亡に繋がりました古代ヨーロッパという時代区分は、一般的にこの西ローマ帝国滅亡をもって定義づけられることから、ヨーロッパ史を学ぶ上で重要な出来事といえます...

ローマ略奪というのは、西暦410年に起こった、西ローマ帝国のローマに侵入したゴート族による略奪事件です。当時ローマはすでに首都ではなくなっていたものの、永遠の都として象徴的地位を持っていました。しかも直接的な侵略とは無縁だったことから、この都の陥落はローマ社会に衝撃を与え、古代ローマ帝国の衰退を象徴する出来事となりました。ローマ略奪が起こった背景375年、フン族からの圧迫で南下してきたゲルマン人が...

トップへ戻る