東ローマ帝国とビザンツ帝国の違い

東ローマ帝国とビザンツ帝国の違い

東ローマ帝国とビザンツ帝国の違い

東ローマ帝国とビザンツ帝国の違い」というテーマで語るには、まず前7世紀半ばにメガラ出身のギリシア人が建設した植民市ビュザンティオンの話から入る必要があるでしょう。
ビュザンティオンは古代ギリシア時代にはペルシアやアテナイの支配を受け、ギリシア世界がローマに征服されてからはローマ帝国領となりました。

 

 

ローマ帝国の首都に

ローマ帝国皇帝のコンスタンティヌス1世は、ビュザンティオンが東西南北の交通路の要衝に位置していたことに目をつけ、この都市の大都市化に着手しました。「ノウァ・ローマ(新たなローマ)」と命名しましたが、普及せず、「コンスタンティヌスの都市」の意の「コンスタンティノポリス」という呼称が定着しました。

 

東ローマ帝国の首都に

ローマが東西に分裂し、東ローマ帝国が成立しました。東ローマ帝国はコンスタンティノポリスを首都に設定しましたが、後世、主に西ヨーロッパ諸国で、コンスタンティノポリスの旧称をとり東ローマ帝国のことを「ビザンティン帝国(もしくはビザンツ帝国)」と呼ぶようになったのです。つまり東ローマ帝国とビザンツ帝国は同じ国です。
ちなみにコンステンティノポリスは東ローマ帝国の滅亡まで首都として長く繁栄し、中世ヨーロッパ有数の大都市として、政治・経済・文化・宗教上重要な位置をしめました。1453年にオスマン帝国に征服されてからも、同国の首都となり、引き続き繁栄していました。

 

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