西ローマ帝国が滅亡した理由

西ローマ帝国が“滅亡”した理由|ゲルマン人による皇帝の廃位

西ローマ帝国が“滅亡”した理由|ゲルマン人による皇帝の廃位

地中海全域の覇権を確立したローマ帝国ですが、4世紀半ばに東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂しています。(ローマ帝国が分裂した理由も参照)さらに西に成立した西ローマ帝国は480年に滅亡してしまっています。

 

 

・ゲルマン人大移動とその後の影響

375年頃より北ヨーロッパに住んでいたゲルマン民族が、遊牧騎馬民族のフン族の圧迫を受け南下を開始しました。彼らはやがて地中海世界のローマ帝国領に侵入してくるようになり、ローマは防衛に手を焼くようになります。
しかし410年のローマ略奪が象徴するように、ゲルマン人の侵入はついにローマの心臓部にまで及ぶようになり、ローマのゲルマン化が進行していきました。
そして476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルにより皇帝が廃位され、480年には抵抗を続けた皇帝が暗殺されたことで、西ローマ帝国は滅亡してしまったのです。

 

・ローマ帝国最後の皇帝は?

西ローマ帝国最後の皇帝となったのは、ロムルス・アウグストゥルスです。
475年に即位しましたが、そのわずか1年後にオドアケルによって退位に追い込まれました。

 

・ローマ帝国滅亡後の社会

「滅亡」と聞くと、あらゆる施設が破壊されたり、それまでの制度や法律が形無しにされたりといったイメージがあるかもしれませんが、「西ローマ帝国の滅亡」の実態はそういったイメージからじゃかけ離れています。
というのも皇帝が廃位された後も、西ローマ帝国の公職や政府機関は機能し、ローマ市民もこれまで通り普通に暮らしていたからです。

 

“滅亡”表現は正しくない?

オドアケルは皇帝を廃位させたものの、彼に「国を潰した」という認識はなく、むしろ古代ローマの文化を積極的に残そうとしました。
なので歴史学者の間では、「滅亡」という表現そのものが誤解を招くとして疑問視する声があり、近年見直しの動きがあります。

 

・ローマ帝国のまさかの復活

5世紀に終焉を迎えた西ローマ帝国ですが、9世紀にレオ3世がカール大帝にローマ皇帝の帝冠を授けたことで、「神聖ローマ帝国」として復活します。

 

 

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