古代ローマによるイタリア半島統一

古代ローマによるイタリア半島統一|地中海世界征服への第一歩

古代ローマによるイタリア半島統一|地中海世界征服への第一歩

前8世紀に王政国家として成立した時は、ティベリス川のほとりにひっそり存在する小さなポリスに過ぎませんでした。それがやがては破竹の勢いで覇権を拡大していき、全盛期には地中海全域を勢力圏におく超大国へと成長することになります。
そしてその為の重要な足がかりとなったの出来事がイタリア半島統一です。地中海の中心部に大きく突き出たこの半島からは、ギリシア、小アジア、北アフリカ、イベリア半島など地中海世界全域を眺めることができます。つまりここを掌握することは、地中海世界の覇権確立に最も優位な立場に立てるということになるのです。

 

 

半島統一が達成されたのはいつ?

古代ローマによるイタリア半島統一の動きは、紀元前4世紀から前3世紀にかけて起こりました。前4世紀以降、イタリア半島の様々な部族やギリシア諸都市を服属させることで、着実に勢力拡大を進めたのです。その過程で起こった戦争で、最も重要な意味を持つのは、ラティウム戦争、サムニウム戦争が挙げられるでしょう。。

 

ラティウム戦争

ラティウム戦争は、ローマ中心地であるラティウム地方の先住民ラテン人との戦争です。

 

サムニウム戦争

サムニウム戦争はイタリア半島造山帯に居住するサムニウム人との戦争です。三次に渡って行なわれ、第三次サムニウム戦争のサムニウム人征服をもって、ローマはイタリア半島ほぼ全域を支配下におさめ、実質イタリア半島統一を成し遂げたのです。

 

統治がうまくいった理由

ローマの拡大政策がうまいこといった理由の1つとして、懐柔の巧みさがありました。ローマは、征服地に元からある言語や文化を尊重し、自治権も認めローマの同盟国のように扱うことで、反発を少なくしていたのです。
支配下におかれるということは、ポジティブに見れば保護下に置かれるという意味でもあり、トスカーナやカンパニアのようにローマによる支配を歓迎していたポリスもあります。

 

多民族にも市民権を付与

また征服地の市民にも、段階的にローマ市民権を付与していくことによって、ローマ市民としての一体感を醸成することに力を入れていました。これは外国人や多民族への市民権の付与を認めなかった古代ギリシアのアテナイと対照的です。(アテナイの市民権法も参考のこと)

 

 

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