カルラエの戦いとは

カルラエの戦いとは

カルラエの戦いとは

カルラエの戦いは、紀元前53年にカルラエで行なわれた、共和政ローマと古代イラン王朝パルティアの戦争です。

 

パルティア戦争は217年までに8回も勃発していますが、カルラエの戦いは第一次パルティア戦争の最終局面となった戦いです。

 

戦争の背景

カルラエの戦いの指揮をとったのは第三次奴隷戦争(スパルタクスの乱)で史上最大規模の奴隷の反乱を鎮圧したマルクス・クラッススです。

 

彼はローマ1の富豪で、三頭政治の一角として政治的な地位はあったものの、軍事的な実績は第三次奴隷戦争以降皆無でした。

 

そこで確固たる名声を得ようと、パルティアへの遠征を決断。元老院は消極的でしたが、カエサルとポンペイウスが了承したので、しぶしぶ遠征を許可しました。

 

戦争の結果

クラッススは5万近い兵力を率い、パルティアに攻撃を仕掛けましたが、結果は返り討ちの惨敗。

 

パルティア軍は戦力で劣るものの、巧みな戦略でローマ側を翻弄し、足並みを乱したところを包囲殲滅しました。

 

クラッススはこの戦いで殺害され、クラッススが死んだことでカエサル、ポンペイウス、クラッススによる三頭政治は終焉を迎えました。

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