アラウシオの戦いとは

アラウシオの戦いとは

アラウシオの戦いとは

アラウシオの戦いは、紀元前105年に、ローマ属州ガリア・ナルボネンシスのアラウシオ(現フランス・オランジュ)近郊で起こった、共和政ローマとキンブリ人、テウトニ人の同盟勢力が争ったキンブリ・テウトニ戦争(紀元前113年-紀元前101年の)の戦いの1つです。

 

キンブリ・テウトニ戦争を代表する戦いであると共に、共和政ローマが大敗を喫した戦いの1つとして知られています。

 

戦争の背景

紀元前120年から紀元前115年にかけ、スカンディナヴィア半島一帯に居住していたキンブリ人が、新たな居住地を求め南下を開始し、地中海世界のローマ勢力圏を脅かすようになりました。

 

そしてキンブリ・テウトニ勢力は、紀元前113年にローマの北方防衛戦であるノリクム属州に到達。そこでローマ軍を壊滅させ、勢いを得ました。(ノレイアの戦い

 

紀元前109年にはガリア・ナルボネンシス属州に進撃を開始し、再びローマ軍と衝突したのです。

 

戦争の結果

結果はローマの惨敗となりました。ローマ側は8万から12万もの死傷者を出し、第二次ポエニ戦争でハンニバルに包囲殲滅させられた「カンナエの戦い」以来の大損害となりました。

 

敗因としてローマの指揮官の内輪もめにより軍が割れて、ローマの強みである組織力が活かされなかったこと、キンブリ・テウトニ勢力との兵力差が倍近くあったことが挙げられます。

 

この敗戦によりローマにとっては「蛮族」のさらなる進軍を許すこととなり、「蛮族」がすぐそこまで迫っていると知ったことで、ローマ社会は「terror cimbricus (キンブリの恐怖)」と呼ばれる混乱状態に陥りました。

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