アッリアの戦いとは

アッリアの戦いとは

アッリアの戦いとは

アッリアの戦いは、紀元前387年に起こったガリア人によるローマ進出に端を発する戦争です。

 

ローマ側が大敗を喫し、ガリア人による市内の蹂躙・略奪を許してしまった戦争として知られています。

 

戦後はこの大敗の反省から、城壁の建設、軍隊の再編成、実用的な武器の標準化などの改革が行なわれました。

 

アッリアの戦いの背景

新たな定住地を求め、ガリア人がローマの支配領域に進出し、ローマに圧力をかけていました。ローマは最初、大使を送り、穏便な協議で事を解決しようとしていましたが、交渉は破綻します。

 

その後ローマの大使ファビウスがガリア人のリーダーの一人を戦闘の中で殺害してしまいました。万民法に反したものとして、ガリア人は殺害した大使の引き渡しを要求します。

 

しかしローマは要求を受け入れるどころか、ファビウスを重役に任命。ガリア人は激怒し、ローマに宣戦布告を行ない、進軍を開始しました。

 

アッリアの戦いの結果

ローマは2万4千人の兵団を組織し、テヴェレ川支流のアッリア川付近でガリア人を向かい撃ちました。

 

ガリア軍団はローマ兵を次々と撃破していき、防衛線を突破し、ローマの都市にて略奪と破壊の限りを尽くしたのです。

 

一方でガリア側も伝染病などの蔓延で大きな損害を被っており、最終的には協議によりローマが金1000ポンドを支払うことで戦争を終わらせました。

 

戦後の改革

終戦後、ローマは防御の手薄さを反省し、セルウィウス城壁を築き上げました。また鎧や武装をより実用的なものに改良するなど、防衛に関する様々な改革が行なわれました。

 

歴史家は、この戦争により、ローマ人は兵器技術と戦術の重要性を学んだという見解を示しています。

 

戦後の改革で創り上げられた軍事システムは、その後のローマ軍の基本形となり、後に地中海全域を掌握するまでにいたる、ローマの領土拡大政策を支えました。

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