なぜ?ローマ帝国が分裂した理由

なぜ?ローマ帝国が分裂した理由

なぜ?ローマ帝国が分裂した理由

イタリア半島の小さな都市国家から、地中海全域の広大な地域を支配する大帝国にまで成長したローマ帝国は、4世紀半ばに東西に分裂することになります。

 

東西分裂の原因

この東西分裂の発端となったのは、テオドシウス1世(347年-395年)が死後、2人の息子に帝国領土を東西に分担統治させたことです。

 

ローマ帝国ではそれまでも分担統治は行なわれていましたが、最終的な決定権・裁決権は1人の皇帝が独占しており、実質的には1人で統治されていた国でした。

 

しかしこの395年の分担統治以降は、皇帝権が統一される期間はほとんどなく、国家運営の方針はしだいに剥離していったのです。

 

東西区別して考えるのは後世から

現在では西ローマ帝国と東ローマ帝国を分けて扱うのが一般的となっていますが、東西に分けるのは後世の考え方です。

 

東西で国家運営の方針が異なるといっても、あくまで同じ国家であり、市民は皆ローマ人というアイデンティティを持っていました。

 

分担統治させた理由

テオドシウス1世が息子達に分担統治させた理由としては、ゲルマン民族の大移動が挙げられます。

 

当時、北欧より南下してきたゲルマン系民族の侵入の対応に追われており、自分の没後後継者争いや内紛により蛮族からの国家防衛に対処できないということがないよう、より機敏に対処できるよう分担統治という方法をとったのです。

 

最終的に西ローマ帝国はゲルマン人により滅ぼされましたが、東ローマ帝国は民族大移動の影響を大して受けずに住み、分裂から1000年以上も存続しました。

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